2025年09月

2025年09月29日

特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)のYouTubeチャンネルで、小沢樹里がインタビューを受けました(2025.9.29)


特定非営利活動法人ASKのYouTubeチャンネルにて、
あいの会代表の小沢樹里のインタビュー動画が公開されました。

2008年2月、埼玉県熊谷市で発生した熊谷9人死傷事故について、
17年経った今もなお語り続ける理由について話しています。

事故の経緯だけでなく、飲酒運転の「共犯性」や「再犯防止への課題」、
さらに、2023年から導入された「心情等伝達制度」を利用し、加害者との対話を通じて感じたこととは──
小沢自身の言葉で語られています。

あの悲しみを、次の誰かの命を守る力に変えるために。
飲酒運転をなくすために私たち一人ひとりができることを考えるきっかけになる内容です。
ぜひご覧ください。

熊谷9人死傷事故 加害者・同乗者は職業ドライバー〜いま、遺族の想いを伝える〜
https://www.youtube.com/watch?v=kAgkRRAL8U8

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2025年09月27日

飲酒の影響による危険運転致死傷罪と、他の罪との両立

危険運転の本来の考え方を取り戻すために

高橋正人弁護士のブログを拝読しました。
そこには、危険運転致死傷罪を創設した際の「本来の趣旨」について、非常に重要な視点が書かれていました。

危険運転致死傷罪の立法当時の考え方は、限定的ではなく幅広く運用し、危険な行為を的確に捉えるというものであった。
(高橋正人弁護士ブログより引用)

この一文には深く共感しました。
しかし、現在の運用ではその趣旨が十分に活かされず、危険運転の適用範囲が矮小化されてしまっているのが実情です。
そのため、本来であれば危険運転として裁かれるべき事案が、過失運転や信号無視の枠に押し込められてしまうケースが多く見られます。
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医学的な法解釈

一方で、医学的の分野では前頭葉の働きから人間の判断能力や抑制機能が可視化できることが明らかになっています。
こうした医学的知見を法解釈に取り入れることができれば、危険運転の認定においてより科学的で矛盾のない判断が可能になると考えます。

私たちが提案してきた「飲酒運転」と「高速度」が重なった事案も、現代であれば双方が危険運転として認定され、より重い判決となっていたのではないでしょうか。
これは高橋弁護士がおっしゃる「幅広く捉える」考え方と軌を一にするものです。

たとえば、福島県郡山市で起きた「飲酒運転による受験生死亡事故」も同様です。
飲酒と赤信号無視という複合的な危険行為が存在していた以上、本来であれば積極的に危険運転として評価されるべきだったと私は思います。



小沢家の事案から見える「危険運転」の本質

私の家族が被害に遭った事案は、加害者が飲酒運転の末、連続するカーブを時速100〜120キロで反対車線に侵入し、二台の車に衝突したものでした。
私たちの車は2台目にあり、父と母が死亡、弟と妹が重体重傷となりました。

当時、私は素人的な視点から「なぜ飲酒運転と高速運転が別々の評価になるのか」と何度も検察官に問いかけました。
しかし、弁護士がついていなかった私たちにとって、頼れるのは検察官の見解だけでした。

検察官は「飲酒運転を立証するためには、正常な運転ができていたと思われてはならない」と説明しました。
確かに、仮に時速40キロ制限の道路を40キロで走りながら飲酒によって蛇行し、人を死傷させた場合でも危険運転致死傷罪は成立します。

しかし私たちの事案では、それ以上に深刻な要素がありました。
制限速度40キロの道路を100〜120キロで走行することは、加害者自身が裁判で述べた通り「自分の車をかっこよく見せたい」というエゴに基づくものでした。
つまり、飲酒によって正常な運転が困難な状態でありながら、さらに自らの意志で速度を上げるという二重の危険性が存在していたのです。

医療的な観点から見れば、この状況は「制御機能が損なわれた状態」で「エゴによる加速」を伴った行為であり、明らかに複合的な危険運転です。
現代であれば、飲酒運転と高速走行の双方が危険運転として認められ、両罪名が併存し、より重い刑罰が科されていた可能性が高いと私は考えています。
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さいごに

郡山の事件に関しても、今後の危険運転致死傷罪は、社会全体の安全を守るために設けられた法律ですから、その運用が狭く解釈されてしまえば、法の本来の意義は失われます。
高橋弁護士のご指摘のとおり、原点に立ち返り「幅広く捉える」姿勢を取り戻すことがいま必要なのだと強く感じました。

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高橋正人弁護士のブログはこちら


i_nokai0708 at 21:13|Permalink│Comments(0)

赤田ちづる先生によるグリーフケア講座開催(2025.9.20)

​セルフケアの必要性

9月20日、赤田ちづる先生をお招きし、グリーフケアについての講座を行いました。
テーマは「犯罪被害者支援をしている当事者団体にとってのセルフケア」でした。
多くの遺族団体や当事者団体の方々が、ご自身の経験をもとに「次の被害を防ぎたい」「自分が困ったことを、次の人には経験させたくない」という思いで活動を続けておられます。
その根底には「思いやり」という言葉で言い表される自己犠牲の側面も含まれているのではないでしょうか。



支援活動の現実とセルフケアの課題

私自身も夜間の相談を受けることが多く、時には深夜1時や2時までかかることがあります。
裁判は待ってくれませんから、意見陳述のサポートや精神的なケアのために、どうしても時間を割かざるを得ません。
「相談は5時までに」と言われても、被害者の方は仕事や子育てがあり、子どもに聞かれたくない話は子どもが眠った後にしかできないのが現実です。
当事者だからこそ分かる、その生活の中での苦しさがあります。
また、セルフケアの講座では「個人情報は話さないように」と教えられることが多いですが、実際には自分の経験やこれまでの支援を通して学んだことを伝えたいという思いがあります。
それは一律にタブーとして切り捨てられるものではなく、現場では欠かせない要素でもあるのです。



活動に伴う誤解とリスク

被害者支援の活動には、社会から誤解を受けることや、見過ごされがちなリスクもあります。
・講演や活動が「旅行できていいね」と軽く見られてしまうことがある。
・実際には準備段階で強い精神的負担があるのに、表面だけで評価されがち。
・子ども世代にまで活動の負担が押し付けられるリスクがある。
・被害体験を「社会資源」として利用されてしまう感覚を覚えることがある。
活動の表側だけでは伝わらないこうした実情を、もっと多くの方に理解していただくことが必要だと感じます。



支援への提言

赤田先生のお話を通して、私自身も支援の在り方について改めて考えさせられました。
・活動を「回復の手段」として押し付けてはいけない。
・「話してみたら少し楽になるかも」と軽く勧めるのは危険。
・本人が安心して休める環境づくりも、支援の一部である。
・活動の裏には心身の負担や二次被害があることを、社会全体が理解していく必要がある。



まとめのメッセージ

利他的な活動は社会に大きな意義を持ちます。しかし、その裏で当事者がどれだけ心身を削っているのかは外からは見えにくいのが現実です。
社会は被害者遺族の活動を「美徳」として消費するのではなく、その背後にある苦しみや負担を理解し、支援者もそれを押し付けない姿勢が求められます。
そして、被害者遺族が無理なく活動を続けられるように、安心して休める環境や制度づくりを整えることが大切です。
今回の講座を通じて、セルフケアの重要性を改めて実感しました。
これからも「あいの会」では、当事者だからこそ分かる苦しみに寄り添いながら、自分たち自身のケアも大切にしつつ活動を続けてまいります。
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​YouTube撮影 マグマグチャンネル

あいの会のマグマグチャンネル!!!

当日はちづる先生の講演の前にYouTubeの撮影を行いました!
二本取りを行いまして、9月28日に動画が公開されました!

【佐々木成三×あいの会】子供とSNSの“危険サイン“と親が今すぐできる対策
https://www.youtube.com/watch?v=vrSac2WI1H0

ぜひご覧ください!

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i_nokai0708 at 21:00|Permalink│Comments(0)

2025年09月25日

川崎市立橘高等学校定時制での講演報告(2025.9.24)

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先日の9月24日、あいの会の中村が、川崎市立橘高等学校定時制にて講演を行いました。

講演では、事件の経緯やその後の生活の変化、子どもたちの気持ちの揺れ、そして事故を防ぐために自分や仲間を大切にすることの大切さなどをお話ししました。
生徒の皆さんが真剣に耳を傾けてくださり、それぞれの心の中で何かを感じ取っていただけたと思います。

小さな「種まき」のような活動ではありますが、このような機会をいただけたこと、そして熱心に聞いてくださった生徒の皆さんと先生方に心より感謝いたします。

i_nokai0708 at 22:27|Permalink│Comments(0)

2025年09月15日

危険運転の数値基準が適用された事例について

先日、NHKにて報道がありました。
その内容は、危険運転致死傷罪の適用に際し、あいの会が国に提出してきた「数値基準」が
実際に議論・反映された可能性がある というものです。

これまで私たち遺族は、危険運転致死傷罪の適用に大きな壁を感じてきました。
法律上の表現が「進行の制御が困難な高速度」「アルコールの影響により正常な運転が困難」など、
あいまいなまま運用されることが多く、被害者にとって不公平な結果が生じてきたからです。

そこで、あいの会では「具体的な数値基準を設けること」を長年訴えてきました。
その要望書の一節を、ここに引用いたします。
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(2024年1月22日 法務大臣面会 当時小泉龍司大臣 要望書提出)


【要望書 原文引用】

危険運転致死傷罪に関する明確な数値基準の導入について

現行法では「進行の制御が困難な高速度」「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」など、
表現があいまいであるため、運用に際して恣意的な解釈の余地が大きく、結果として被害者にとって著しく不公平な事態が生じております。

よって、以下のとおり数値基準を設けることを求めます。
1. 速度超過の基準
 ・一般道路においては制限速度の 2倍 以上
 ・高速道路においては制限速度の 1.5倍 以上
2. 飲酒運転の基準
 ・呼気中アルコール濃度および血中アルコール濃度について、正常な運転が困難となる数値を明確に法律に規定すること
(要望書全文 https://www.moj.go.jp/content/001414734.pdf)

今回の報道で示されたのは、まさにこの「数値基準」に沿った判断が議論され、実際の事案に反映されてきている可能性です。

下記の検討会では、危険運転致死傷罪について、そして過失運転致死傷罪についての当会が要望した内容です。
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参考URL https://share.google/hebShTZXym7JrVuJP


数値基準と現行法を併存させる意義

数値基準を設けることは、あいまいさをなくして、運用における不公平を防ぐために非常に大きな前進であると思います。
一方で、数値基準だけに限定してしまうと「基準を1ミリ、1キロ下回った場合でも危険運転致死傷罪が全く成立しない」という極端な事案が出てくる可能性があります。

たとえば、
• 制限速度の 1.5 倍が基準だとしても、1.49 倍の速度で事故を起こした場合に「危険運転ではない」とされてしまう可能性がある。
• アルコール濃度についても、数値をわずかに下回れば「正常な運転が可能だった」と扱われることがある。

そのため、数値基準を設けると同時に、現行法の柔軟な表現も残すことが重要だと思います。

現行法の「進行の制御が困難な高速度」「アルコールの影響で正常な運転が困難」という規定を残しておくことで、
数値に当てはまらなくても明らかに悪質で危険と認められる行為を、裁判で危険運転致死傷罪に認定してもらえることになります。

(例)
• 数値基準 → 明確でわかりやすく、予防効果・運用の公平性が高い
• 現行法の柔軟な規定 → 数値で切り落とせない事案も拾い上げられる

この両者の規定が適用されることで初めて、真に被害者に寄り添った司法の運用が実現するのだと考えています。


完全な法改正のために

もちろん、現時点では「案」や「検討段階」であり、完全に法改正が実現したわけではありません。
ですが、遺族の声が司法の現場に届き、制度に変化をもたらしつつある という事実は非常に大きな意味を持ちます。

これまで繰り返されてきた「あいまいな基準による不公平な運用」から一歩踏み出し、
被害者にとって納得感のある基準が定着することを強く願っています。

そして、同じような悲しみを繰り返さないために、引き続き声を上げ続けてまいります。


​これまでの活動URL

町亞星さんとの対談
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法務大臣 元小泉龍司大臣に要望書提出
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あいの会 活動についてのブログ
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(報道URL)
危険運転致死傷罪の見直し 数値基準のたたき台まとまる
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​最後に
私たちはこれまで、様々な活動を通して 危険運転致死傷罪の運用のあり方 について問題を提起してまいりました。
その歩みは、私たち自身の活動だけでなく、同じ苦しみを抱える多くの遺族の経験とも重なり合い、
今回の検討会の実施につながったものと受け止めています。

犯罪被害者となることは、大切な家族を突然奪われるという、言葉では言い尽くせない苦しみを背負うことです。
しかしそれだけにとどまらず、さらに 法の矛盾や不十分な運用に直面し、二重の苦しみを強いられてきた のが現実です。

私たちは、これ以上そのような被害者を生み出さないために、今回の検討会、そして提出してきた要望書の内容がしっかりと反映され、
真に被害者に寄り添った法改正 へとつながることを心から願っております。

i_nokai0708 at 20:02|Permalink│Comments(0)│取材&報道 

2025年09月13日

松永拓也への殺害予告、あいの会への威力業務妨害に関する少年審判で意見陳述を行いました(2025.9.13)


少年審判という場に立つ重み

本来であれば、少年審判で意見陳述を行うことなど、私は望んでいませんでした。
裁判所という場所に行くことは、大人であっても大きな負担になります。それを中学生が背負うことの重さを考えれば、できる限り避けたいと思うのは当然です。

だからこそ、審判が開かれる前に「面談」という形で直接会って話をし、その場で私たちの思いを伝えるなどし、少年の更生に向けて協力したいと考えていました。
けれど、「面談」は拒否されました。本人も両親も直接会って謝ることを拒みました。そこで感じたのは、言葉以上に重い「沈黙」と「拒絶」でした。

陳述書で伝えた「万引きの例え」

私は陳述の中で、こんな例えをしました。
「もし子どもが万引きをしたら、手紙で謝罪するだけでは足りないはずです。直接、店長さんに『申し訳ありませんでした』と頭を下げることが、本当の意味での謝罪であり、再び同じ過ちを繰り返さないための学びになるのです」と。

それはSNSでの誹謗中傷にも通じます。画面越しの言葉だけで済ませてしまえば、そこには責任も痛みも伴いません。だからこそ、直接向き合うことの大切さを、私は審判の場で必死に伝えました。

殺害予告の恐怖

誹謗中傷の言葉は確かに心を深くえぐります。しかし、それが「殺害予告」となれば、恐怖の質は一変します。
当会の副代表理事の松永拓也は、
「本当に自分は殺されるのではないか」——そう思わざるを得ない状況に何日間も置かれ、相手が誰か分かるまでの間、常に命の危険を感じながら生活をせざるを得ませんでした。会社にも迷惑がかかる。そして本来であれば行っているはずの交通事故撲滅のためのSNSの発信にも制限がかかり、しばらくの間、次の講演先が決まっていても、講演後にしか案内をすることができませんでした。
この事件を受けてから、相手がわかったとしても、どのような体格なのか、本気で殺害をしようと考えているのかは、わかりませんでした。
だからこそ、松永の命を優先にした行動を取るしかなかったため、あいの会として、活動を縮小するしかなく、これまで講演を依頼していただいた方に大変申し訳ないと言う気持ちと、どうしてこのようなことになってしまったのかと悩む日々でした。

この事案では、個人への殺害予告だけでなく、「あいの会」に対しても威力業務妨害となりました。さらに、講演を予定していたとある県に対しても、同じような内容のメールやイベントを妨害するかのようなメールが10通も送信されていたのです。
恐怖は一人の問題ではなく、当会だけではなく講演先にまで及び、関わる全ての人に不安を与えるものでした。

そして相手が特定されたとき、耳に入ったのは「中学3年生」という事実でした。
未成年の子どもがこれほどまでに人を追い詰める行為をしていたのか。信じたくない気持ちと、現実の重さに押しつぶされそうになりました。

審判の空気感と伝えたいこと

審判廷という場は、静かでありながら重く、張り詰めた空気が流れていました。意見陳述で自分の心の内を語るとき、すぐそばにいる加害者少年にむけて、「伝えなければならない、どうか同じ事件を繰り返さないで欲しい」という思いで言葉を紡ぎました。

SNSの言葉は、直接の暴力ではありません。けれど、人の心を深く傷つけ、時に命をも脅かす力を持っています。
未成年であっても、人を傷つければ「加害者」になる。その当たり前の事実を、社会全体が受け止めなければなりません。

どうかこの問題を、他人事として片付けないでください。
家庭で、学校で、そして社会全体で、SNSの使い方について話し合い、考え直すきっかけにしていただきたいのです。

i_nokai0708 at 17:09|Permalink│Comments(1)│その他 

報道記事の紹介:ドラレコ「話し声」確認せず(2025.9.11)

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9月11日の毎日新聞にて、ドライブレコーダーに関する記事が報じられました。
事故の状況確認において「話し声」が確認できなかったことや、千葉県警が音声再生ができないソフトを使用していたことなどが取り上げられています。

i_nokai0708 at 17:00|Permalink│Comments(0)